フランダースの犬

昔・・俺が何歳の頃だったかは定かではないが・・日曜日の夜にカルピス世界名作劇場で放映され・・子供心に最終回でネロとパトラッシュが昇天する際のエンジェル達がやさしく彼らを包み込むシーンが心に残っており、で涙した記憶がある。

なんとなく懐かしい気持ちになり・・暇を持て余してた俺は本をリビングに持ち込み酒を飲みながら・・久しぶりに読んでみた。

「えっ!!なんで?こんなに悲劇過ぎるんだよ。子供向けの本がこれでいいのか?」

俺は結末を充分に知りながら、どこかで「ネロ、お前は死ぬんじゃない。お前はなんて心が綺麗な少年だ。きっと君の描いた絵は優勝して、君は絵描きになれる。そして金持ちの娘アロアと結婚するんだ。そしてパトラッシュの銅像を立てるんだ!ネロ!」
とか応援したくなってしまっていた。

しかし、当然そんなことは起こらない。

ネロは、かすかな微笑みを浮かべながら、パトラッシュとともに餓えと寒さで教会で息絶える。

全く救いがないじゃないか!何でみんな死んじゃうんだ!
そう言えばマッチ売りの少女とかもそうだったじゃないか!

この心の綺麗な少年はありとあらゆる苦難を経験しながら、最後はとうとうハッピーになるのでした、おしまい。みたいな感じの方が、よっぽど子供に夢と希望と勇気を与えるはずじゃないのか。

「おいおい、死んじゃったらダメじゃないか!天国に行くなんてキレイ事過ぎるだろ。現世では貧乏で報われなかったけど、それで良し、みたいな神話を信じたら、このリアルでタフな現代社会を渡って行けない人になっちゃうじゃないか!」とか思っていた。

読み終えて、まだ悶々としていた俺はAmazonで「フランダースの犬」の原作をダウンロードして改めて読む事にした。子供向けにダイジェストされた話なので、原作にはもっと深い内容が描かれているのではないかと思ったからだ。

原作は20分もかからずに一気に読める長さだった。
そして、子供向けの「フランダースの犬」は優れたダイジェスト版だったと実感した。
ほとんど内容に変わりはなかった。

このイギリス人女流作家マリー・ルイーズは、なぜベルギーのアントワープを舞台にした悲劇を書いたのだろう。

このストーリーにはどういう作者の思いと教訓が隠されているのだろうか。
まだ悶々が解消されない俺はこの作家について、ネットで色々と調べてみた。

この作品が書かれた頃のイギリスでは、産業革命があり、圧倒的な勢いで近代化が進んでいた。マリー・ルイーズ という作家は、鋭い洞察力で変貌する社会や体制を批判的に見るジャーナリスティックな一面を持った女性だったようだ。

ネロはベルギー、アントワープが生んだ偉大なる画家ルーベンスの「キリストの昇天」と「十字架上のキリスト」を一目みたいと願っていた。
それが、最後の最後に教会で月の光に照らされた絵画を見る事で適うのだ。

この絵画は、本来金を払わなくては見る事が出来ないものだったので、毎日食べる事で精一杯のネロは見る事が出来なかったのだ。

彼と仲の良かった少女アロアのオヤジは金持ちのコゼツだ。
ネロが貧乏過ぎるので、自分の娘と会わせる事を拒絶する。
彼は近代資本主義の申し子みたいな感じに描かれる。
村人達も金持ち旦那のコゼツを拒絶出来ない。(ダジャレになってしまった。)

恐らく、この作家は資本を持つものが、資本主義時代の権力者になり、絶対視される世界の到来を予見し、そしてそれによって見失うものがあるのだ、と伝えたかったのではないかなどと大袈裟に考え始めてしまった。

コゼツの旦那は、自宅の風車が火事になったのを、ネロの逆恨みで彼が放火したのだと吹聴する。それを村人達は「まさか、あのネロが」と密かに思いつつ、それを表立って否定出来ない。彼らがミルクを売って歩くネロから冷徹に離れて行くシーンは理不尽極まりない。無情過ぎる。

しかし、それが持つ者と持たざる者の決定的な差なのだとこの作家は描く。